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バイタルトークとの出会い
ハワイで老年医療のフェローをしていた時、バイタルトークの創始者の1人であるDr. Anthony Backが講演に来られました。その時のBack医師のコミュニケーション力の高さに感銘を受けると共に、‟コミュニケーションは学べる(Communication is a learned expertise)”ということを知り、重度の疾患を持つ患者さんに対するコミュニケーションをさらに学びたくて緩和医療フェローシップにすすみました。その後、緩和医療学会でバイタルトークの1日研修会、アスペンでのファカルティーコースの受講を経て、自分自身もファカルティ―となりました。
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バイタルトークによってどのように自分のコミュニケーションが変わったか
日本での研修医時代は、コミュニケーションの教育やフィードバックを受ける機会もなく、‟コミュニケーションはうまい人をみて、学ぶしかない”と思っていました。患者さんや家族の反応をみて、‟うまくいっていないな”と感じることはあっても、どのように改善したら良いかもわからず、時間だけが過ぎていきました。(その時の患者さんの悲しそうな表情がいつまでも脳裏に焼き付いていました。)重度の疾患を持つ患者さんや家族との話し合いは常に緊張と恐怖心との戦いでした。しかしバイタルトークに出会い、まずそのような話し合いを始めることに対するハードルが下がりました。そしてある一定の枠組みにそって話し合いを行うことで、自分自身や他者のコミュニケーションの振り返りを効率的に行えるようになりました。また、私が以前、悲しい顔をされた患者さんに対してどうすべきだったか、それは‟感情に留意する”ことであったとわかりました。相手の感情に留意するということは、相手を理解しようと努める姿勢であり、そのように相手の態度や言葉を全身全霊をもって受け止めようとすることで、相手からの信頼を得て、患者や家族の思いをより多く引き出きだすことにつながりました。
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かんわとーくを始めた理由
「日本でコミュニケーション教育を広めたかった」というのが一番の理由です。
私は英語で終末期の話し合いをすることに自分の能力の限界を感じていました。日本に帰ってきた理由の1つは母国語でその方の人生を振り返り、価値観を含めた終末期の話し合いをしたいという思いでした。そして、コミュニケーション技術を1人でも多くの人に広めることで、「自分のようにコミュニケーション力が足りないことが原因で辛い思いをさせた患者さんやご家族のような人を1人でも減らしたい」「1人でも多くの医療者が自信をもって医療現場に出てほしい、ひいてそれは‟医療者の燃え尽き防止につながる」と思ったからです。なかなか自分1人では踏み出せなかった最初の1歩を、今回、バイタルトーク日本版グループのメンバーが後押ししてくれました。このような仲間との出会いに心から感謝しています。
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日本の医療者に伝えたいこと
「コミュニケーションは学べる」ということです。
私も日本で様々なコミュニケーション研修会を受講してきました。私のコミュニケーションスタイルはいろいろな技法の集大成です。その中でもバイタルトークは間違いなく、私のコミュニケーション技法の中核をなしています。今度は私自身が、コミュニケーションに苦手意識をもつ方たちの最初の1歩を踏み出すお手伝いが出来ればいいなあと思っています。そしてコミュニケーション教育を皆様と共に広めることが出来れば幸いです。